大町文庫しおり第1号ができました。(制作編集 増田千恵子さん)
■大町文庫設立の経緯 瀬賀弘行
13年9月、大町文庫を開設しました。わたしが村上高等学校の生徒だったころ、
おおきな影響をうけた3人の先生がたの蔵書をおさめる予定で、
2人分は、おおかた収蔵しました。
ここにいたった経緯を、もうしあげます。
■本間桂先生の語学力に魅せられ・・・
73年4月、本間桂先生が47歳で村上高校に英語教師として赴任されました。
先生は佐渡のおうまれで、旧制静岡高等学校から45年はる、新潟医科大学に入学なさいました。
新潟大学の第二解剖学を主宰なさった布施教授と同級です。
しかし46年はるには退学なさり、旧制京都帝国大学文学部英文科にすすまれました。
その後、新潟県の高等学校の教師となられ、わたしが高校2年生のときに村上高校に、おいでになりました。
英文法をおしえていただきましたが、その授業は圧巻でした。
たとえば教科書に、be to~の例文を、なにもご覧にならずに、ふたつほども追加されて板書なさいます。
どのような例文にたいしても、そうでした。
そして、それらのすべての例文には出典がありました。
聖書、シェークスピア、モーム、ヘミングウェイなどです。
そのたびに先生は、出典をあきらかになさいました。
ほかの文法書や辞書からひかれているわけでは、ありませんでした。
これは先生が、いままでにおよみになった本のなかからご自分で抜粋なさっていらっしゃったということです。
そしてしばしば、その追加された例文から授業はたのしい脱線をしていくものでした。
「新約 ルカ伝 第13章24節 sir, are only a few to be saved?
この be to ~も、予定のbe to ~ ですね。そこでキリストはこたえます。
Strive to enter in by the narrow door. ちからをつくして、せまき門よりいれ。
ジッドの小説にとられていますね、狭き門」そこからジッドの「狭き門」に脱線していくわけです。
わたしたちは恍惚として、ききいりました。
先生はドイツ語とフランス語にも堪能で、ニーチェはドイツ語で、
モーパッサンはフランス語で、およみになっておられます。
そしてご趣味は漢詩の詩作でした。
その先生の息子さんが11年に、ひさしぶりに帰省なさいました。
そして先生ご夫妻の自宅をみて、びっくりなさいました。
ななつある部屋のうち、よっつが本でうずまっており、
ご夫妻は、わずかのすきまで生活なさっていたというのです。
その息子さんから、わたしは相談をうけました。
「両親は高齢なので早晩、本を管理できなくなるだろう。
わたしもあにも、これだけ膨大な蔵書をひきとることはできない。
なんとかならないものだろうか」と。
ゆかしい本間先生の蔵書です。
先生のおひとがらのなりたちに、ふかく関係した蔵書でしょう。
よませていただきたい。
どこかにまとめてのこしたい。
■八木三男先生の温かい人柄に感銘を受け・・・
そうおもいたつと、故八木三男先生の蔵書も気になりました。
先生は村上高校で日本史の講義をなさいました。歴史はドラマとして、かたられました。
生徒に人気がありました。
先生は32年、長岡のおうまれ。
京都大学文学部国史学科を卒業なさり、56年から村上高校で、おしえられました。
08年におなくなりになりましたが、在宅で、わたしが、おみとりしました。
先生の書庫にも膨大な蔵書がねむっていました。
未亡人におたずねすると「ひとりむすめは東京、
これだけの蔵書を東京の自宅に、もっていくことはできません。
あなたにさしあげましょう」とのこと。
■大嶋久夫先生の広く深い教養に憧れて・・・
そうなると、故大嶋久夫先生の蔵書も、おもいだしました。
先生は36年、満州のおうまれ。
戦後、平林にひきあげられ、60年に東北大学文学部英文科を卒業なさいました。
同年から村上高校で英語をおしえられましたが、広範な教養にささえられた英文和訳は芸術的で、
もう、この訳以外の訳はないだろうと、ためいきがでることが、しばしばでした。
09年におなくなりになりましたが、未亡人におたずねすると、
「ひとりむすめは仙台在住で、この蔵書を相続するつもりは、ありません。
旧神林村の時代に村の図書館に寄付しようとしましたが、辞退されました。
ですから、どうぞ、おすきになさってください」とのことでした。
さあて、あの時代の偉大な3先生の、そろいぶみ。
これを、まとめてのこせたら、なんともきもちのいいことか。
そうおもって、市役所につとめる友人に相談してみましたが、「そんな予算は、ありません」。
市の図書館は「管理に経費がかかるので、本の寄付は辞退しております」。
村上高校の同窓会も「今後、このような本の寄付が増大したときの対応が困難なので、むつかしい」とのこと。
そこで、面倒なので、自分で文庫をつくろうと、おもいたちました。
たてものだけたてても、その後の運営に、また、おかねがかかります。
そこを節約するために、一階部分にはテナントをいれました。
そこで「うおや」が食堂「一鰭(いちびれ)」を経営します。
「うおや」の社長である上村隆史さんが、わたしの村上高校時代の同級生なので、たすけてくれました。
これからは、かれとの二人三脚です。みなさまも是非、おたちよりください。
かおり高いコーヒーでも、おのみになりながら、どうぞ先達ののこされた古典の世界で、おあそびください。